めちゃいけなんだけれども

今フジテレビを見ていたらめちゃいけなんだけれども、いきなり画面が真っ黒に
なってよくある放送テストみたいな(砂嵐ではない)七色のコード画面みたい
なのになって(名前は知らない)「ただいま放送を中止しております」という
アナウンスとともに数分間、放送が止まっていた。編集か何かで失敗作を送り込まれた
フジテレビなのかどうかはしらないが、もしそうならば同情にも値しない
ような放送事故となる。自分とテレビの関係というものはこのフジテレビのアナウンス
によって補完されうる場合はこの場合ほとんど参照にならないといってよい例で、
この場合人々の脳裏や思考はフジテレビジョンに送付された編集済みの録画ビデオ
を送ったものと送られたものとの関係で、そこに自己的な仮称は存在することは
その時点で「自己」の判断によってなぜか、とがめられている。間に入るもの
というのは常にあるがその上でそれを見続けている自己というものに思考が
追いついていかない、あるいはまったく筋を違えてしまうように捜索されてしまう
なにかしらの「意味」や「概念」というのはいずれにしてもこうした緊急事態の
場面においてはかなりの罠として突出する。文学を自己と対比されようと考えられた
レスでないものに対して自己の仮称を持ち出しレスとの間隙に誘い込もうとする
手段もまさにこれと類を共にする。文学においても同等である。