たとえば、100がゴールラインだとしよう。

たとえば、100がゴールラインだとしよう。
生まれ持って100な人間が居る一方で、1な人間も居る。
つまり、不利な人間であればあるほど努力負担が増大する一方で、
生まれ持って80とか90台のイージーモード人間であればあるほど、
努力のつらさ、キツさを軽んじる。
そりゃそうだ。10や20の努力でゴールできる人間と、
80も90も努力が必要な人間が、同じ土俵で努力を語っているのだから。
これは、ろくにアフリカ行ったこともないような日本人が、
アフリカ飢餓難民に対して「オメーラが貧乏なのは努力が足りないからだ」
とか言うようなものだ。
飢餓難民からすれば「貴様らに何が分かる!?」ってなもんだろう。

 「お年寄りを大切にしよう」なんていうのは昭和のキレイごとなのか。

 「お年寄りを大切にしよう」なんていうのは昭和のキレイごとなのか。
きのうは社会と自分の意識の変化に気づかされる小さな事件があった。


 電車の座席はほぼ埋まり、車内には立っている人がちらほらいる程度。
私の向かい側座席の前には男性1人、女性2人のハイキング帰りらしい高齢者が立っていた。
私に背中を向けているから時たま見える横顔で判断するしかないが、60代半ばぐらいか。
彼らの目の前の座席には若者2人と50代ぐらいの女性1人が座っている。若者は2人とも茶髪、1人はサングラスをしていた。


 この人たちに気づいたのは、この高齢者組の男性が「最近の若い者は年寄りを立たせても平気なんだから」
「ちょっと前は罪悪感からか寝たふりをしたもんだが、最近じゃ寝たフリもしないからふてぶてしい」などと、
かなり大きな声で話しているのが耳に入ってきたからだ。どうも自分の前にいる若者に席を譲らせて女性2人を座らせたかったらしい。


 ここまで嫌味っぽく言われると、まったく関係ない第三者の私だってちょっと気分が悪い。すっかり眠気が覚めてしまった。
反対側にいる私が席を譲れば、もう1人ぐらい誰か立ってくれるだろうと思って腰を浮かせかかった瞬間、サングラスの若者が口を開いた。


 「あんたたちさぁ、山は歩けるのに電車では立てないの? それっておかしくない? 遊んできたんだろ? 
こっちはこれから仕事に行くところなんだよ。だいたいさぁ、俺みたいなヤツが土曜日も働いてあんたたちの年金を作ってやってるんだって分かってる? 
俺があんたみたいなジジイになったら年金なんてもらえなくて、優雅に山登りなんてやっていられないんだよ。とにかく座りたかったらシルバーシートに行けよ」


 細部の表現は覚えていないながら、こんな感じ。チャラチャラしているように見える若者の意外な発言に正直言ってビックリ仰天した。
「お年寄りに席を譲りましょう」とか「お年寄りを大切にしましょう」などというキレイごとを聞いて育ってきた世代の私にしても、彼の言っていることは正論に聞こえた。
あたしって壊れてきているのかな? 浮かせかかった腰を再び降ろしちゃったよ。3人の高齢者は凍りついたように黙りこくり、
次の駅で降りていった。ほかの車両に乗り換えたのかもしれない。

二酸化炭素中毒

残念ながら、二酸化炭素中毒では窒息死の苦しみは味わえない。


動物は酸素を吸って二酸化炭素を吐いて生活している。
このことから二酸化炭素中毒というと「苦しい苦しい窒息死」というイメージが持たれるが、
我々が息を止めて感じる苦しさは酸素の不足、酸欠によるものだ。
実際に多量の二酸化炭素を吸った場合、苦しむ間も無くあっという間に気を失う。
これは実際にドライアイス等を扱う職種の人が多く経験している。


また二酸化炭素には呼吸促進の作用があるため、
意識を失った後も体の筋肉は反射的に呼吸をしようと喘ぐ。
この喘ぐ様子や体の痙攣、窒息の苦しさのイメージから
安楽死ではない、苦しんで死んでいるのだ」といわれているが

昨日休出で日帰り出張した。

昨日休出で日帰り出張した。
打ち合わせが捗ったのと上手い事キャンセル待ち取れて日帰りできたんで、
妻が帰ってくるまで仮眠してた。


「…なんかさ〜、給料が良いだけなんだよね。取り柄なんか」
「え?どこがwそんないい男ならこんな事言わないってw」
「チョロい奴だよ。ちょっと強めに言っておけば言う事聞くし」
「一緒にいたってつまんない男だよ。出来るだけ生活時間ずらしてるんだから」


途中から少しずつ覚醒して、ベッドに座りながら黙って聞いてたら、笑いながら寝室のドア開けてきて
アワアワしながら電話切った。


昨夜から色々話し掛けてくるけど完璧に無視してる。
食事の支度がしてあったが、黙って全部捨ててカップ麺食べた。
電話の相手(妻友人)と妻両親から何故か謝罪の電話が入ったがこれも無視。
泣いたり謝ったり煩いので、お前の好きな物やると20万程顔に叩き付けて出てきた。


もう知らん。

いつも子供っぽいお菓子持ち歩いてるのがかっこいいと思ってた

いつも子供っぽいお菓子持ち歩いてるのがかっこいいと思ってた
大学の講義のときに近くに女子が座ると
「やべー修正液がねー午後一で出すレポートなのにー」とか「消しゴムがねー」とかアピールして
女の子が親切に貸してくれたら、それを返すとき
お礼にこれw とか言いながらジャンパーのポケットからビスコとかタバゴボーロとか出してあげてた


陰で「誘拐犯」って呼ばれてたのを最近知った

ボードショップを経営しています。

ボードショップを経営しています。
いい年して波乗りしてる奴って、なんだか妙に悟りきったようなこという奴が多くて、
若い危なっかしいコを見ると説教とかしがちだけど、はっきり言って俺は全く違うね。
違うどころか、ショップのアルバイトになんて「可愛いのいたら紹介しろ」とかいって、
夏場なんてショップの上の部屋開放して泊めてやったりまでしてる。
・・・なんてそれもこれも、ただ犯るための手段でしかないんだけどね。
とにかく、10代の馬鹿女が最高だね。
ボードショップのオーナーっていうだけで、もう目なんて突然キラキラしてきて、
無条件に信用するもんな。
だからもう、年中犯りっぱなしかな。
「これ」と思う子なんて、半月くらい余裕で合宿させちゃうもんね。
当然、波乗り合宿なんて口ばっかで、要は体のいい公衆便所だし、
なかにはそのまま調教しちゃう場合だってある。
奴ら妊娠のことなんて全く現実感無いから、生挿入なんて当たり前だし、
中出しだってやっちゃえばこっちのもん。
今までに、ざっと20人くらいは出来ちゃったらしいけど、一人も面倒見た奴なんていないね。
この前なんて、「妊娠しちゃったの」ってなきながらやってきたから2日ほど居させてやって、
その間に仲間達3人で、そいつが白目剥いて泡吐くほど輪姦してやった。
とにかく10代。10代の体と馬鹿さ加減には呆れてものが言えないね。

こないだ高校の同窓会に行った。

こないだ高校の同窓会に行った。
みんなそこそこ成功してるやつばっかで、手取り20万の
貧乏リーマンの俺は肩身がせまい。
オーケーわかってる、そんなことは予期してたさ。
俺はおもむろにケータイを取出し「ちょっと失礼」と言って席をたつ。
(もちろん誰からも電話など掛かっていない)
「なに!外資のファンドが参入・・・」
(聞きかじった言葉を適当に)
「かまわん!買って買って買いまくれ!そうだ全部だ!」
(声を荒げてみせる。俺も何が全部なのかわからない。)
「責任は全部俺が取る。余計なことは考えるな!」
電話をおわり、席へ戻る。「ゴメン、ちょとしたトラブルで・・・」
みんな、口をポカンと開けて俺を見ている。
数分後再びケータイを取出し・・・。
「よし、転じたか!一気に売りぬけろ!」
(気分はウォール街のマイケル)
「やったか!300?310?よし、よくやった!!(小さくガッツポーズ)」
(もう単位などどうでもいい、みんなに任せとく)
「フゥーーーーーーっ」
大きな溜息をつきながら、席へ戻る。俺は大満足。
するとみんなが何かコソコソ話してる。気のせいかクスクスと
笑い声らしきものも。
そしてひとりの同窓生が失笑まじりにつぶやく。
「今日土曜日だぜ」


みなさん大爆笑。

大学卒業後、楽だからってズルズルとフリーターを続けてたら

大学卒業後、楽だからってズルズルとフリーターを続けてたら
いつのまにか三十路手前になってしまい、おまけにバイトをクビになってしまった。


そんなわけで10年続けてきた一人暮らしをやめて、実家に戻ったのだが
なにせ実家は四国という田舎である。都会以上に求人数は少ない。
正社員はおろか、アルバイトですらなかなか見つからない。


一方、3歳年下の妹は看護学校を出て、地元の県立病院で真面目に働いている。
実家住まいだから家賃代わりにと毎月10万円を両親に渡している。
俺は両親に無心することはあっても、実家にお金を入れるなんてしたことなかったのに。
自分が情けなくなって、死にたくなった。


そんなとき、妹が気分転換にとドライブに誘ってくれた。
ガチ童貞の俺は妹とはいえ、女と二人でドライブするのがやけに楽しくて
昔話やら一人暮らしの頃の話をして盛り上がっていた。


それで話の流れで「おまえは結婚はしないのか? つきあってる男はいないのか?」
と聞いたら「無職の兄が家にいちゃあ、結婚したい相手がいてもできないよ」と言われた。


「……小さい頃は俺がおまえのことを守ってやるって言ってたのに、今じゃただの邪魔者
だよな。ごめんな、ダメな兄ちゃんで……」
「でも、まぁ、二人だけの兄妹だし、いざとなったらお兄ちゃんをお婿にしてあげようか?」
そう言って笑い飛ばしてくれた妹の言葉は嬉しかった。


そして家に帰った俺は妹を犯すシーンを想像しながらオナニーして寝た。

先週、河川敷で犬の散歩してたら、

先週、河川敷で犬の散歩してたら、ぎゃあぎゃあ騒がしいから
なにかとおもったら、子供3人が流されて流れの速くてコケでヌルヌルの浅瀬に岩にしがみついて
助けてくれー!状態。流されると、淵で溺れそうだったので、
丸太もっていって助けてやった。ここまではよかった。
消防が遅くなったきたけど、仕事はなにしてるんですか?と聞かれて、
登録型派遣社員だったので何気に、まあ無職です。てこたえたら、え?
気まずい雰囲気。態度も微妙に変化。
親は挨拶すらこなかった。電話でサンキュ。




見殺しにすればよかった。30の夏。

私の母は昔から体が弱くて

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。


それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた

オカズになってくれって言ったら、

高校2年の時だったか・・・?
別に彼女ではなかったが、
オカズになってくれって言ったら、
「別にいいよ・・・」の返答。
椅子に座らせて、一応、目隠ししてもらって、
スカートをめくってもらって、その前でシコシコしたんだ。
したら、「私がヤッてあげるよ」と手探りで俺に近づいて、
ゆっくり上下運動。
なんか、あっという間に爆発してしまって、
彼女の手の甲におびただしい量の精液が伝わった。
しばらく放心状態のままでいたら、「すっきりした?」とかすれた声でつぶやいて、
目隠しをおもむろにとって、そのタオルで精液を拭いてくれた。
なれた手つきだったから、かなりの経験を積んでいたようだ。

おまえはキレ痔の辛さをわかってない

おまえはキレ痔の辛さをわかってない
物体どころか、ウォッシュレットのぬるま湯ですらしみるんだ
しみるという表現では少し伝わらないかもしれない、激痛が走るんだ激痛が
肛門に針をさしたような痛みだ。わかるかその痛さが・・・
会社でウォッシュレットを使った時に水の勢いを最弱にするの忘れてて
あまりの痛さで俺は便器から立ち上がったことがある
うぉしゅレットのぬるま湯が便器から俺の背中にめがけて放水だぞ、慌てた俺は便器の方へ振り返ってしまい
おなかもビチョビチョになったんだぞ。


早退したわ。


わかったか?このつらさが・・・これコピペじゃねぇからな

乳首ばかりコリコリされ鬱です。

乳首ばかりコリコリされ鬱です。


はなしてる時も、 ずーっと乳首ばかりコリコリする男にイラつきます。
それしかテクがないんだろうけと゛。「私は乳首しかない」 とずっと考えて、
急に泣いたり、 夢でも乳首をいやがおうにも触られる夢をみてしまいます。
本当に発狂してしまいそうです。
電車に乗ってる時も、 男を見ると皆、 乳首コリコリしてると思うと吐き気がして、
眩暈がし、 駅で倒れたりしてしまいます。隣に男が座ってくるのが耐えれません。
私はおかしいでしょうか?こんな方いますか?

デキるOL風の女が牡蠣を手に

私はデパ地下で、デキるOL風の女が牡蠣を手にもしゃもしゃ食べながら
早足で歩いてるのを見たことがある。
それだけでも固まったが、食い終わった牡蠣の殻をそのまま床に投げ捨てた。
デパ地下に「カラーーン!」と殻の音が響きましたが
目もくれず涼しい顔で足早に去っていった。

先月末の夕方、東京から新幹線乗ったらアホそうなサラリーマンが

先月末の夕方、東京から新幹線乗ったらアホそうなサラリーマンが
車内の座席で携帯でギャーギャー騒いで(怒り口調で)煩かった。
内容から仕事の話だろうが本当に迷惑だったが、ここで凄いことが怒った。


「うるさいぞ、黙れ。ロビーに行け」とスーツの初老男性が注意したんだが
一旦電話を切ったDQNサラリーマンが初老男性に食って掛かった。
だけど初老男性はたじろぎもせず「お前は何様だ、何処の部署だ!」と意外な返答をした。
バッチから企業名がわかったらしいが、DQNは「関係ないだろと」とますます煩くなった
で初老男性がイキナリどっかに電話掛けたと思ったら、
「取締役のxですが、人事部長お願いします。」と言ってる。
「あー、z君?今さーうちの会社の若い奴が新幹線で周囲に迷惑掛けてるんだけど
 名前がわかんないから出張中の奴、調べてくれない?何なら本人に代わるけど?」
こっからDQNが青ざめた顔してイキナリ謝り出した・・・
駅で買ったビールを飲んでた事も、初老男性はきに食わなかったらしく
ロビーに連れてかれたが、あれは凄かったよ。
俺が名古屋で降りる時も帰ってこなかった

ごめんね、もう動けないみたい。

ありがとう。ごめんね、もう動けないみたい。自分でもどこが病気か解からないよ。


この前の車検の時、ディーラーの人の話してました。もう古くて部品がないみたい。
最近は初めてあなたに会った時より運転が上手になって、気持ち良く走れました。
私の癖も、全て知っていてくれていた。


いつも週末は砂埃だらけのわたしを洗ってくれて、その後はドライブの日々でしたね。
助手席に乗る人は時々入れ替わりましたね。あの香水がキツイ人、あなたの趣味?
ごめん、実は嫌いだったんだよ。


初めてあなたに会った夜、一緒に駐車場で寝た事。
フロントバンパーをぶつけられた時、泣いてくれた事。
あまり高くはないけどオイルの交換はあなたがしてくれた事。
一晩中調子の悪いところを探し続けてくれた事。


同乗者がいない時、流す音楽はいつも静かな曲だった事。
急いでいても、信号の無い場所、わたろうとしてる人に道を譲る事。
まわりから古いから別のにしろと言われても、拒否し続けてくれた事。
あなたと一晩中走り続けて朝を迎え、空き地で缶コーヒーを飲んだ事。


あなたとの10年は            ほんとうに ありがとう

今日は残業の予定だったのが早く帰れることになった。

今日は残業の予定だったのが早く帰れることになった。帰宅し、おどかしてやろうかと
ほんの悪戯心で、音を立てないように細心の注意を払い、こっそり家の中へ。
したら嫁、何かふんふん歌いながら洗濯物たたんでたw しめしめと思い、
そっと距離を詰めると、嫁が歌ってたのは「一休さんテーマソング」だった…
吹く寸前でこらえ、面白いので離れてしばらく聞いてたら、歌詞もめちゃくちゃだし、
おかしくてもう俺、笑いの発作を止めるのに必死だった。
(ちなみに嫁は不思議ちゃんではなく、ごくごく普通人。だから余計面白かった)


そして歌はラストの部分へ。どうしめるのかと思っていたら、
「好き好き好き好き好きっ好き♪あ・い・し・て・る♪好き好き好き好き好きっ好き♪
○、○、○(俺の名)♪ ○、○、○(俺の名)♪たらったったったたー!♪」
なんか、「そうくんのか!」って意表つかれるやら、ノリ良く後奏部分まで歌ってんのが
おかしいやら、もう嫁が何かすげえ愛しいやら、でもおかしいやらで、こらえてたのが
崩れ、もう一気にふがっと吹き出してしまった。そしたら嫁がまたものすごく驚いて
「フギャアァァァ!!!」(←本当にこう叫んだ。毛を逆立てる猫の如しだった)
もうなんか可愛くて愛しくて、「いつから〜、いつから〜…!」とジタバタ暴れる嫁を
抱きしめて、しばらく爆笑した後、「俺も本当に愛してるよ」と言いました。
嫁、涙目顔真っ赤で「もー!」だって。
真面目に言うのと違っぽくてスマン。おしまい。

短大のフランス語の先生(イギリス人)の娘が学園祭にきて、

短大のフランス語の先生(イギリス人)の娘が学園祭にきて、
声かけてきた生徒の一人の三河弁がいたく気に入ったらしく、
(*・∀・)「ワタシ、日本語話すだらー」「そうだらー」「おいしいらー」
と使いまくってた。まあ語尾に「らー」と付けてるだけなので、
明らかにおかしいとき「今の違うよw」と元祖三河が突っ込んだら、Σ(゚Д゚)ハッ
として押し黙ったのち、


(*´・д・)「…らー…Ru…るぁ…るぁあ〜?」


と、一生懸命発音の工夫をし出したのがほんとーに可愛かった

俺は小さい頃、家の事情でおばあちゃんに預けられていた。

俺は小さい頃、家の事情でおばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地にきて間もなく当然友達もいない。
いつしか俺はノートに自分が考えたスゴロクを書くのに夢中になっていた。
それをおばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み〜」
おばあちゃんはニコニコしながら、「ほーうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがて俺にも友達ができ、そんなことも忘れ友達と遊びまくってた頃
家の事情も解消され、自分の家に戻った。
おばあちゃんは別れるときもニコニコしていて
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」
と喜んでくれた。




先日そのおばあちゃんが死んだ。
89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみみるとそこにはおばあちゃんの作ったスゴロクが書かれてあった。
モンスターの絵らしきものが書かれてあったり、なぜかぬらりひょんとか
妖怪も混じっていた。
「おばあちゃんよく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。
「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
「義弘(俺)くんに友達がいっぱいできますように」


人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
おばあちゃん、死に目にあえなくてごめんよ。

少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。

小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。


担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。


クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。


私は、A君の言葉を忘れない。


「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」


A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。

熱が40度あった朝

熱が40度あった朝、上司は風邪ひとつひいたことなくて、「会社で倒れろ」という人だった。
片道1時間で二回乗り換えの通勤は、とてもじゃないけど無理だった。
ものすごく贅沢というか、薄給にはとんでもない無駄遣いなんだけど、駅に向かう途中でタクシー停めた。


行き先指定するも、既に意識朦朧。
「すみません、実は今日、とても体調が悪くて、会社に着くまでシートに横になってもいいでしょうか」
って聞いたんだ。
無口で眉毛の濃い、白髪混じりのスポーツ刈りの運転手さんは、バックミラー越しにこちらを見て、
「着いたら起こしますから、どうぞ」とだけ云った。


そうはいってもさ、眠れるわけもないんだけどさ。
でも気分的に少しはラクだったな。こうしてるだけで会社に着けるんだな、って。
で、気づいたんだ。
運転手さんは、もの凄く気をつけて、アクセルとブレーキを踏んで、シフト換えるにも、
できるだけショックのないように、そーっとそーっと操作してくれていた。
バックミラー越しに様子を確認してくれているのも、感じ取れた。(吐かれたら困るとかそういう感じじゃなくて)
頭は朦朧としてたけど、なんか、そこだけはすごくよく分かったんだ。


そろそろ着きますよ、と声を掛けられて、そっと運転してくださってありがとうございました、って云ったら、
いいえ、なんにもしてませんよ、って、やっぱり笑わないで云う。
自分、その時はホテルのレストラン勤務業だったんだけど、
そういう、なんでもかんでも儀礼的に用意された言葉やマニュアルで片づけられるもんじゃない、
なんていうかな、その時24才くらいだったけど、とても大事で渋いことを教わった気がした。


それから半年くらいたって、別の場所でまた同じ運転手さんのタクシーに乗れたとき、びっくりしたよ。
あのときは、って御礼云ったら「そんなこと、ありましたかねぇ」って、やっぱり笑わないで、
バックミラー越しに答えてた。

俺は酒に酔うとよくゴルフの話をする。

俺は酒に酔うとよくゴルフの話をする。
この日も俺は鈴木相手にゴルフの話を延々としていた。
ゴルフってのはパー4が多い。パー4ってのは4打で入れろって事だ。
4打だ。何故4打か解かるか。これは言うなれば起承転結を意味してるんだ。
起で起こし、承で受け、転で転じ、結でまとめる。
そしてこの起承転結で1番重要とされているのは、承の部分だって事はあまり知られていない。
そう、つまり大事なのはいつだって第2打目なんだ。
1打目ぽしゃっても、2打目でやり直しがきくんだ。人生だってこれと同じだ。
例えるなら、1打目は10代から20代前半にかけての学生時代。
2打目はそっから30代あたりまでの社会人としての始まり。
3打目は脂の乗りきる40代、50代、そして4打目、人生の集大成の60代以降。
俺はな、1打目しくじった。他の奴らより少し出遅れた。
でもな、やり直しはいくらでもきく。俺にはまだあと3打あるんだ。まだ終わっちゃいねー。
こっからだ。こっから挽回してきっちり4打目でカップにボールを入れてやる。
お前見てろよ、馬鹿野郎。
そんな俺の熱弁を尻目に鈴木は退屈そうに新しく買った携帯電話をいじっている。
人生とはゴルフだ、俺はもう一度自分に確かめるように言った。
鈴木はちらっと俺の方を見てその後、邪魔くさそうにこう言った。
「あのさ、その話3回ぐらい聞いてんだけどいつも思うんやけどあんた、
 1打目OBだから、またボール最初っからちゃうん。挽回無理やろ。」
俺は少し腹が立った。しかしいつもの鈴木ならここで話が終わるはずがこの日は違った。
「でも、無理に4打で入れようとせんでもいいんちゃうん。
 5打かかっても6打かかってもいいやん。あんたはあんたやん。」
それを聞いた瞬間、身体中に稲妻が走った。
俺にはない発想。逆の発想。何故だか急に身体が軽くなるのを感じた。
俺は初めて鈴木がいとおしく思えた。
「俺の人生のキャディーさんになってくれ。」自分でも驚くほど素直になれた。
鈴木は間を入れず「やだ。」と答えた。しかし答えは別にどうでもよかった。
俺は目の前のグラスの氷をカランカランと鳴らしマスターを呼び、
いつもよりほんの少し強い酒を頼んでみた。
店のステレオからは大好きなボブディランが流れていた。